簪(かんざし)の歴史


日本の簪(かんざし)の始まりは、縄文時代ごろといわれている。
古代日本では、細い棒に呪力が宿ると信じられており、それを髪に挿すことで魔を払
うことができると考えていたようである。

奈良時代に入り中国から多様な文化とともに髪飾りも伝わってきた。
当初は垂髪(たれかみ)が主流である平安期の様式に押されて廃れてしまう。

そのためこの頃「かんざし」といえば髪飾り一般を指す名称であり、飾り櫛や笄のこともさしていた。

安土桃山時代ごろ「垂髪(たれかみ)」と呼ばれる真直で長い髪から「日本髪(にほんがみ)」と呼ばれる様々な髪型が変遷する際に、髪飾りは先ず簪が用いられた。

江戸時代に入るとより幅広い用途で用いられるようになり、緊急時には防禦のために用いられたとも伝えられる。

江戸時代中期以降、髪形が複雑化・大型化するにつれて櫛や笄とともに女子の必需品となっていったが、宮中行事などを除いて男子の衣装風俗からは消えた。
しかし琉球王国では金属製の簪「ジーファー」を男女ともに着用しており、身分によって材質にも規定があった。

江戸時代末期に最大の隆盛を見せ、髪飾り専門の飾り職人が技術の粋を凝らした。
平打簪、玉簪、花簪、びらびら簪などさまざまな種類の簪がうまれた。

近代では洋髪の流行とともに使用頻度は減ったが、結婚式での花嫁や、成人式、七五三、芸者・芸妓などの女性が日本髪を結う場合に使用される。

近年に入り簪の持つ優美な美しさを普段の洋装に加えようとする若い日本女性の間で再び脚光を浴びつつもある。